イギリスのギャンブル哲学に倣った法改正を

ざっくり言うと

  • イギリスのカジノ合法化は、経済的な理由によるものではない
  • イギリスの哲学では、ギャンブルはコントロールすべきであるが禁ずべきでない
  • 国家は社会的に問題とならない限り、一般国民の楽しみを阻害してはならない

コロナ禍の中、パチンコ店の休業要請・指示無視にはじまり、競馬・ボート・競輪の無観客レース、宝くじ売り場の閉鎖と続き、黒川検事長の賭けマージャン辞職で荒れに荒れたギャンブル業界ですが、CAZYにとっては、ギャンブルが何たるかを考えるいい機会になりました。

そこで、引っ張り出したのが約20年前に書かれたこちらの本。

大阪商業大学学長で、IR*ゲーミング学会会長の谷岡 一郎氏が書かれた『カジノが日本にできるとき』の中にその答えを見出すことができます。


『カジノが日本にできるとき』,谷岡 一郎(著),PHP研究所,2002

 

◆ギャンブルを禁止すること自体が憲法違反?

『まず個人間のギャンブルすら禁止する刑法185条の規定は、憲法に定められた基本的人権に違反する疑いが濃い。個人間の賭け事が「公共の福祉に反する」とする高度なこじつけを理論化しないことには、刑法185条は幸福追求権(第13条)に抵触するだろう。また財産権(第29条)には個人財産処分の自由も含まれていると解釈すべきで、ギャンブルに使おうが、霊験あらたかな壺を買おうが、国家が刑罰をもって介入するようなことではない。』(出典:『カジノが日本にできるとき』,P226~227)

 

◆イギリスのギャンブル哲学に学べ

1960年、ギャンブル先進国と言われるイギリスがカジノを合法化した最初の法律(The Betting And Gambling Act,1960)が制定されます。

『王室委員会は三年半にわたる審議の結果、ギャンブルは、コントロールすべきであるが、禁ずべきでないという結論に達した。国家は社会的に問題とならない限り、一般国民の楽しみを阻害してはならない。(中略)禁止したためにかえって犯罪を生むものである。(中略)ギャンブルは適正な範囲で行われる限り、人の性格や家庭および社会一般に対して大きな害毒を流すものとは考えられない。(出典:公営競技問題研究会「公営競技の現状と問題点」,1977)

『イギリスにおけるギャンブル(カジノ)合法化が「経済的な理由」によるものではない、という事実である。それよりも、社会的に問題がない限り「人々の楽しみを阻害してはならない」という、より国家哲学的な、そしてより積極的な理由による合法化である。(出典:『カジノが日本にできるとき』,P62)

その後、前述の哲学に従って、より整備された法律(The Gaming Act,1968)が制定されます。この法律では、ギャンブルをコントロールするための三つの達成目標が設定されています。

①犯罪の追放(犯罪組織の関与をなくす)
②多すぎる利益の駆逐(儲けすぎないようにする)
③客にとってフェアなゲームが保証されること

 

◆さいごに

休業指示を無視するパチンコ店の責任者らしき人が、休業指示は憲法違反だから無効と訴えるシーンをニュースの中で目にしましたが、コロナ禍の緊急事態下においては、やはり公共の福祉が優先されるべきだったのではと思います。

黒川検事長の賭けマージャンに対しては、刑法第185条(賭博)の「賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。」の「一時の娯楽」の範囲然り、パチンコ店の三店方式然り、オンラインカジノの問題然り、現行法での対応は限界にきているように思います。

優秀な政治家の先生方には、イギリスのギャンブル哲学に倣って、公平・公正で誰もが納得できる法改正に取り組んでいただきたいですね。